ファシスト政権の面目躍如:宮内庁長官辞任要求


【小沢氏の「私論:民主主義」がファシズムである証明】

 ファシストに中身は無い。「自分達こそ真の~である」と主張し、
 それに反論しようとする者達を強圧的に排除する思想こそがファシズム
 というものの本体だからである。

 小沢一郎氏は、宮内庁長官が、辞職もせずに意義発信することは、
 民主主義に反すると言う。

 まさに、ファシストの見本のような演説である。

 もしも、小沢流の民主主義解釈が正しいのであれば、大臣も官僚も、
 与党・内閣の言うことなすことに対して、なんらの異議も申し立てる
 ことはできなくなるであろう。

 辞職を覚悟しなければ物をいえぬような政府において、自由で活発な
 意見を求めることは不可能に近い。

 そもそも、何ゆえに言論の自由が重要かといえば、より多くの見解を
 聞くことによって、自らの意見を検証する為である。

 反対意見を述べるには辞表が必要という組織においては、その組織の
 支配者の独善を食い止めることはできなくなる。

 小沢氏と民主党がファシズムであると断言できる所以である。


【服従せよ、されど批判は自由である】

 民主主義の根本は、「批判は自由である、されど服従せよ」ということ
 である。小沢氏は、このことを知らぬようだ。

 政府の大臣であれ官僚であれ一般公務員であれ、政府や議会の決定に対
 して、疑義を表明することも、批判会見をすることも自由である。

 ただし、決定にはに従わねばならない。そうでないと、現実に対応でき
 ないからである。

 民主主義とは、不本意な決定にも従うが、その内容が正しいと認めた訳
 ではない、という行動形式の肯定に他ならない。

 民主主義以前に、近代社会の基礎といえるこの前提を、政治家もマスコミ
 も、まるで知らぬかのようである。

 「みんなで決めたことには従わねばならない」と同時に、みんなで決めた
 ことであっても、その内容に対する批判・討論は引き続き行わねばならない。

 みんなで決めたことが真に正しいとは限らないからだ。もしも間違っていた
 場合、批判していた者達の意見からこそ善後策を見出し得やすいであろう。
 そのための「批判の自由」である。

 今回、宮内庁長官は、内閣の指令に最終的に従った。そのうえで、批判の
 為の会見を行った。民主主義的に、まったく正しい行動である。

 ファシストには、ハラワタが煮えくり返るような問題行動であろうけれども。