流出はどこまで許されるか

【知る権利の重要性】

 政府の決定に逆らってでも、場合によっては内部情報を
 流出させることが政治的に認められる世の中でなければ、
 それは民主主義国家ではない。

 流出はいかなるものでもいけない、ということになれば、
 権力者のやりたい放題になる。恐怖政治とはまさにこれ
 である。

 だが、それが正しい判断であるかどうかを決める方法は
 ない。ゆえに、流出後の国民の判断によって是非は決せ
 られる。

 政府が厳罰を科したとしても、その次の選挙で与党が大
 敗すれば、国民は許したことになるだろう。

 最終的には選挙の結果で判断されることなのであるが、
 それではあまりに現実的ではない。ひとつひとつの案件
 に対応できないからだ。

 では、選挙に代わる判定方法は無いのだろうか?

 選挙が行われるまでの間、国民の声を代弁するのが国会
 というものである。そして議員内閣制の日本では、政府
 と与党は一体であるから、与党の判断は権力者側の判断
 となり、この問題には使えない。

 ゆえに、野党、なかんずく、野党第一党の意見こそが、
 流出の政治的可否を決定する指針とされるべきであろう。

 すなわち、今ならば自民党が衝突ビデオを公開すべきと
 しているならば、流出もアリである。少なくとも、最大
 野党に票を投じた国民はそれを支持するのだろうから。

 逆に、自民党も公開は非であるとするならば、政治的に
 も非である。テロリストのリストの公開など、自民党は
 おろか、共産党でも賛同しないであろう。

 少数野党であれば、ときに国の損害を考えない自分勝手
 な主張のゆえに公開を求めるかもしれない(日米密約の
 開示を求めた民主党のようにw)。

 だが、最大野党がそのような観点から公開を求めるとは、
 形式正義的にはありえない。少なくとも、相当数の国民
 が最大野党を支持しているのだから、その分だけの民意
 を最大野党は代弁していることになる。

 今回の衝突ビデオについて、自民党は公開を主張してきた。
 ゆえに、政治的に可であることは国民がすでに知るところ
 であったといえる。