楽殻論


 【楽殻論】

 「まずカイより始めよ」政策によって、燕王はついに楽殻を得た。

 その楽殻が大国・斉の最後の二城を落城させ得なかったのはなぜか?
 出来なかったのか、しなかったのか、しなかったとすればなぜか?
 有名な楽殻論である。

 私もまた、これを論じてみよう。


【戦後の布石】

 私の楽殻論は、極めて単純明快なものである。

 楽殻は、斉を併呑したあとの対外戦略を考えていたのだ。そのために
 二城を落とすまでに数年の時間を”掛けなければならなかった”のだ。

 説明:

 斉は秦に比肩する大国であった。燕もまた、斉と闘うために楽殻によって
 強大な国に成長した国である。

 この二国が合併したとなれば、他国の多大な脅威となる。

 しかも、斉は楽殻との戦いによって軍事・経済ともに疲弊した。燕もまた
 財政的・軍事的に消耗している。

 それはつまり、他の五大国による介入を招きやすいという事態を意味する。
 他国から見れば、斉を併呑した燕が戦争の損害から回復し強大化する前に、
 疲弊した状態のときに叩いておくべきだ、と考えるに違いない。

 斉・燕の国力が回復していれば、五大国が襲ってきても跳ね返すことがで
 きる。そもそも、健全な状態の斉・燕に対して侵攻するほどの結束を五大
 国は持っていない。それができるのは、ほかならぬ楽殻ぐらいであろう。

 だが、疲弊した状態で合併した斉・燕になら、団結せずとも各個に侵略す
 ることはできる。燕はともかく、旧・斉の土地は守りきれない。

 楽殻が二城を落とさず、時間を稼いだのは、その間に斉の農地を回復し、
 斉の国力を充実させる為であった。

 この楽殻の政策は、楽殻が去ったのち、斉側の失地回復行動のさいに力を
 発揮する。皮肉にもそれは、燕軍をあっというまに駆逐するという結果を
 もって。

 斉王が城で孤立している間に、楽殻によって斉の国力はそこまで回復して
 いたのである。