良い政治は言論の自由から


 古今東西、良い政治とは、広く意見を聞き、真摯にこれを検討し、
 新しい良案を取り入れ、古き良き物を守り、誤りあれば速やかに
 これを正すことである。

 こららすべての基礎は、「言論の自由」にある。

 言い換えれば、「意見を聞く」だけでは「言論の自由」が真に存
 在するとは言えないということである。

 「真摯にこれを検討する」ための反論や論証、事実確認等の検証
 のための言論がなされていなければならない。

 そのような討議あっての、「新しきを得」「古きを守る」である。

 そして、誤りがあれば「自由に発言」してこれを改めさせること
 のできる場があってこその「言論の自由」である。

 これらを保証するため、言論の自由には、重大な必要条件がある。

 それは、

 「君の意見に賛同できないが、君がその意見を述べる権利を、私
  は死を賭してでも守ろう」

 という古言に集約されている。

 だがしかし、これだけでは誤解を生む。そのことが、例えば「2
 ちゃんねる」のような状況を生み、その結果、世の識者をして愚
 集の自由な声を馬鹿にする態度を生む。

 意見を述べる権利が守られるべき者は、同様に他人が意見を述べ
 る権利を「死を賭してでも」守ろうとする者だけである。

 その覚悟のない人間に、言論の自由は無い。あってはならない。

 相手の発言権を阻害する人間に、発言権を与えるということは、
 好き勝手な言動を許すということに他ならないからだ。それこそ
 2ちゃんねるの一部参加者のように、である。

 また、このことは「イワユル識者」諸氏にも言える。彼らもまた、
 時に、相手の言論を封殺しようとするではないか。すなわち彼ら
 もまた、言論の自由を与えられるべき資格を持たない者たちなの
 である。