政治家にとって、「聞く」ということ


 【個人的に聞く、社会的に聞く】


 政治家にとって、他人の意見を良く聞く、ということは、単に物理的・個人的
 に話を聞くということではない。

 聞いた事を生かし、実行し、あるいは反論することによって、その意見を世間
 に知らしめることが、政治家にとって「話を聞く」ということである。

 単に、個人的に話を聞いただけでは、聞いたことにはならない。

 分かりやすい例で言えば、ラジオ番組のパーソナリティのことを思い浮かべれ
 ばよい。視聴者から送られてきたハガキを、ラジオ番組の中で読み、電波に流
 して初めて、「読んでもらった」ことになる。

 司会者が、楽屋で一人でハガキを呼んで大笑いしていたとしても、それだけで
 は社会的には読んだことにはならないのだ。個人的には読んだことになるけれ
 ども。

 同様に、政治家もまた、自身の持つ発信機能に載せないのであれば、聞いたこ
 とにはならないのである。

 そして、政治家の発信機能とは、実行であるのだから、実行力が無いというこ
 とはイコール、他人の意見を聞いていない、ということなのである。

 項羽は、礼儀正しく他人の意見を聞いたが、なかなか採用しなかった。

 劉邦は、無作法な態度でしか他人の意見を聞けなかったが、よくこれを採用した。

 韓信は、「項羽の仁は婦女子の仁、項羽の勇は匹夫の勇」とこれを評した。

 鳩山氏の仁は、婦女子の仁、小沢氏の勇は匹夫の勇。